年が明けたと思ったら、あっという間に新年度。ハイシーズンが終わり、春スキーの季節になってしまった。年明けからも慌しく動いていたようで、スマートフォンに残っている写真で3ヶ月をさかのぼってみる。
1月はサロモンチームの選手との合宿、ニューモデルのテスト、栂池でのキャンプと続いた。スキーテストはノルンの沖校長と滑った。レーシングブーツを履いて「やっぱりこれじゃなきゃ!」と言いながら気持ち良さそうに滑っていた。五竜ではスキー大学が行われていたが、僕はいいもりのラーメン大学に入っていた。栂池のキャンプで壊れかけのビデオカメラが完全に使えなくなった。カメラは消耗品かな・・・。その後北海道のルスツでチーム合宿、朝里川とテイネでレッスンし、いいもりでの甲信越予選とここは結構きつかったね。
2月上旬八方でのキャンプのあと、滋賀県の奥伊吹に一日行ってきた。その後戸隠と五竜で合宿、またラーメン大学に入っていた。1月に続きラーメンの写真ばかりが残っている。
野沢温泉でのエンジョイキャンプは、降雪に恵まれパフパフでした。いつもの看板の下で定点観測、今年は去年よりもわずかに少なめだった。大湯には入らなかったけど、大瀧のカレーラーメンは1月と変わらなかった。
2月後半はノルンとよませ、こっそり戸隠と野沢にも行っていた。ノルンのスペシャルレッスンで沖校長と1年ぶりのラーメンランチ。山盛りの野菜をたべてました。夜間瀬は技術選のジャッジ、この仕事はやはりあまり好きではない。子供から全日本選手まで混ざっている大会はとっても難しい。そして徳竹剛のオヤジは相変わらず元気だった。滑りもバリバリ、息子より上手い。
そして技術選が始まった。僕の技術選は3週間。最初の週は選手のトレーニング、毎朝8時前にリフトに並ぶのが日課だった。コース整備してビデオ撮って、写真撮って編集して送る。とりあえず毎日そんな感じでした。
サービスマンは夜も昼も頑張ってくれました。天気が良い日のスタートは仕事がしやすいけど、吹雪いたりすると最悪です。朝スタートについたらトイレも行かずに競技が終わるまで頑張ります。今年は表彰台の中央を獲れなかった。負けてしまった。もう少しでコーチになってからの勝率を5割に戻せるところだったけどダメだった。でもチーム全体としてはまずまずだったかな?・・・
技術選が終わると僕にとっては3週目の技術選が始まる。DVDの解説のために、メールしたり電話したりしながら原稿を書く。8割は選手に確認してから書いているからそれほど間違った内容にはなっていないと思う。ジャッジと技術選の解説は友達を失います。辛口で書いた場合はね・・・。原稿が書き終わらないうちにスペインツアーに出発、最終種目は飛行機の中で書いた。最後は移動中のバスの中で書いて、あとは任せた。ナレーターの渡辺さんの力でなんとか喋っていただけた。様々なCMに出ている売れっ子ナレーターさんです。
スペインのスキー場は初めてだったけど、その広さに驚いた。HAKUBAVALLEYがすっぽり入ってしまいそうなくらい大きかった。初日はガス、そして春の雪だったけど、新雪が積もり天気も回復、後半は最高のスキーを味わうことができた。もちろん毎日ゲレンデ帰りには喉を潤し、街のバルへも出かけた。最終日はバルセロナに移動しサクラダファミリアにも行ってきた。ゲレンデ良し、食べ物良し、締めの観光もバッチリだった。
帰国後は直ぐにニセコに行ってきた。33年ぶりのニセコは大きく変わっていた。そしてまだ大きなホテルが建設中だった。バブリ~! 北海道で最も歴史のあるジュニア技術選も熱かった。小学生のコブは激ウマだった。戸隠でのキャンプは花粉にやられ、八方でのキャンプは黄砂と風にやられ、写真が一枚もなかった。最近レッスンで手一杯になり写真がほとんど撮れていない。4月始め、雑誌用の撮影を行った。天気は快晴、真冬と全く変わらないコンディションの中、昼飯抜きで滑りまくった。佐藤栄一に借りたスキーは最高だった。
一気に3ヶ月を振り返ってみると、やはりあっという間だった感じがする。スマホに一番たくさん残っていたのはラーメンの写真だった50枚以上残っていた。スキーしていたのか、ラーメン食べていたのか、あっという間の3ヶ月だった。
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